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舌足らずなNHK不要論

 自信を持って人に語れる品性などは持ち合わせていないけれども、人は殺さない、物を盗まない、廊下は走らないくらいの常識は持ち合わせているつもりだ。
雅楽多blog』に「受信料不払いと日本人の品性」というエントリがあって、MSN-Mainichi INTERACTIVE カバーストーリーの、次の記事が紹介されていた。
 →「デジタル放送の課題:NHK受信料問題で問われる日本国民の品性

 どうやらぼくも、苦手な品性を問われているらしい。
 この記事(以下「MIC記事」)で書き手が言わんとしていることは、たぶん「NHKを公共放送として維持してゆくために、受信料徴収に罰則を設けなければならないとしたら情けないことだ」ということではないかと思う。この要約が正しいという前提であれば、ぼくはこの意見に50%賛成する。
 なぜ100%賛成ではないかと言えば、ぼくは受信料を払ったことがないからだ。賛成できるわけがない。
 そして、なぜ受信料を払わないかといえば(現在はTVがないからであるが)、公共放送としてのNHKに存在意義を認めていないからである。いやはや。
 公共放送たるNHKが必要なのか、不要なのかといったことは、今さら議論されるべきことではないだろう。ユニバーサルサービスの充実度はもちろんのこと、災害時などにNHKのニュースにチャンネルを合わせる人の数を見れば、いかに信頼された放送を行っているのかは明らかなことだからである。
(MIC記事)

 そもそも受信料徴収を語るには、NHKの“公共性"の是非が問題となるはずではないだろうか。それを「議論されるべきことではないだろう」と最初に当然とされてしまっては、ぼくのようなNHK不要論者には受け入れようがなくなってしまう。ぼくは、受信料不払いは(便乗者もいることは想像できるが)基本的に、NHK要不要論が根本的な問題となっているのだと認識している。
 ユニバーサル・サービスの充実度、災害時のニュースなど、NHKの貢献度は高い、と著者は言う。確かにそれはそうだ。しかし、それは放送局が受信料を取ってやるべきことなのか? 政府がやればいいではないか。
 NHKの収入源を税金にすれば、支払い率の心配は無くなるが、税収によって賄われるようになれば、それは国営放送ということになる。国営放送局を持つ国々が、民主主義社会に多いか、社会主義社会に多いかを考えれば、NHKが公共放送として成り立っていることの意義は明らかであろう。(同)

 ぼくはかねがね、政府(地方公共団体でもいい)が、直接に国民(市民)へ情報提供するための手段がほとんどないことに疑問を感じていた。ぼくらが政府の動向を知るのは、新聞やTVやラジオといった、民間の報道機関を通じてである。「民間ができることは民間に」という考え方は理解できるが、政府はぼくらに知らせるべきことをきちんと自らの責任で提供するべきだ。それは政府の義務であり、他の誰かが代行できるものではない。記者の前でしゃべったからOKというのはおかしい。
 また、この「国営放送局を持つ国々が、…社会主義社会に多い」云々が、国営放送では真実の(正直な)情報は望めないという意味であるのなら、むしろその方が民主主義国家として問題ではないのか。

 政府がやるとすれば、その財源は税金ということになる。
 ぼくらは政府にひどく不信感をもっているし、放送機関などを作らせたらろくなことにならないんじゃないかと危惧する。でも、NHKはどうなんだ? OKだったのか?

 さて、話をNHK不要論に戻す。
 ぼくがNHKを不要だと考える理由を大まかに箇条書きにする。

●スポーツ放映・ニュース、ドラマ、ヴァラエティ、グルメ番組などは放映する必要はない
●囲碁、将棋、語学、音楽、能・狂言・歌舞伎など、趣味の領域の番組が多すぎる
●組織として独立していない。たとえば、2000年のNHK番組を国会議員が「事前に検閲し」、「圧力をかけ」、「番組内容を改変させた」と「言われて」いる。番組改変への圧力があったかなかったはともかく、国会議員に放映前の番組を見せること自体が問題だ。
●放映済みの番組を国民が利用する設備がない。国民の受信料で成立しているなら、番組は国民の共有財産ではないのか。正当な利用料を支払えば、簡便に自由に閲覧、複写が可能でなければおかしい。

 別にTVでスポーツ番組やドラマを放映するな、と言っているわけではない。なぜ一部の人しか見ないものを、しかも生活に必要なものでもないものを、金を払って受信させていただかないといけないのか、ということだ。そんなものこそ民間でやるなり、希望者のみが見られるようにするなりすればいいではないか。
 NHKが提供する番組のクオリティーについて、国民がどのように認識しているかが重要になる。良質な作品を提供している限り、今の受信料制度を維持していくことは可能なはずである。(同)

 とにかく維持したいらしいのである。
 クオリティについて問われるとは思わなかったが、問われたのであれば考えよう。
 ぼくは番組を見ていないので、番組そのもののクオリティについては語れない。しかし上に書いたように、まず“何を放送するのか"という点において、問題が多すぎる。これを書きながら番組表を一週間分眺めてみたが、ぼくの観点から言えば少なくとも半分近くは“公共放送"としては不要な番組である。残りの半分はすばらしい番組だと仮定しても、半数が不良品である商品のクオリティを高いというわけにはいかない。
 まずい喩えかもしれないけれど、契約したプロバイダが「通信速度がものすごく速くてセキュリティも高いけれど、一日の半分は繋がらない」というようなものだったら、どうでしょう?
 NHK受信料不払い者数の拡大が沈静化しなければ、公共放送として、高視聴率の期待しにくい番組や身体機能に不自由を抱える人向けのサービスを展開することが難しくなってくる。(同)

 NHKのこういう面については否定しない。しかし、繰り返し言うが、それなら国営放送でやればいいではないか。「公共放送」の意義を十分に議論せずに、受信料を払うの払わないのという議論をすることが不毛なのだ。たとえば国営放送では「高視聴率の期待しにくい番組や身体機能に不自由を抱える人向けのサービス」ができないのであれば、それがなぜなのか、どうしてできないのか、それを説明できるのだろうか。政府機関がこれ以上膨張するのが好ましくないというなら、それはそれで構わない。そのうえで、公共放送はどうしても必要だと議論を展開し、公共放送がどうあるべきだという結論を出せばいいではないか。

 世界に類をみない制度であるから保持すべきだとか、罰則がないのに払ってきたのはモラルが高いからだというのは、なんとも間の抜けた意見にしか思えない。
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by clocken | 2005-05-28 00:48
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思考の空転するままに書くことができたら。


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