mood|oblique

clocken.exblog.jp ブログトップ

世界に一つだけの花

asahi.comのニュースから。─野口さん、SMAPの「世界に一つだけの花」でお目覚め

 スペースシャトルに乗船中の野口さんが、SMAPの「世界に一つだけの花」(作詞・作曲/槇原敬之)について「この歌が大好きです。日本で大変人気があり、世界平和の歌です」とコメントしたという記事。

 前々から疑問に思っていたのだけれど、これが「世界平和の歌」だというのはほんとうだろうか。

 確かに歌詞の中には「…僕ら人間はどうしてこうも比べたがる?/一人一人違うのにその中で/一番になりたがる?」という箇所があって、「人間」について語っている印象を受けやすい。

 でもよく考えてみてほしい。「花屋の店先に並んだ」様々な種類の「花」は、すでに人間の手によって選別され、品種改良され、栽培され、品質検査を受けた商品であるということを。野に咲く自由な花を無差別に摘み取って並べられたものではない。花は花屋の店先に並んだ時点ですでに「比べ」られているのだ。

 ただし、ぼくはこの歌を欺瞞だというつもりはない。聴き手が拡大解釈し過ぎただけであって、歌に罪はないのだ。
 歌詞の「僕ら」が「人間」全般を指すのではなく、たとえば「芸能人」を限定して指していると考えれば、また違った意味も浮かび上がってくるではないか。
「僕ら芸能人はどうしてこうも比べたがる? 一番になりたがる?」「No.1にならなくてもいい」
 作詞者の由来を考えればこの方がぴんと来るし、歌詞全体に漂う脱力感によほど合っているように感じられる。

 また、「僕に笑顔をくれた」人が「誰も気づかないような場所で/咲いてた花のように」と喩えられているのも、この解釈の妥当さを裏付けていると思われる。この名もなき「花」のような人はどの花を選ぶかひどく迷っていて、それが「僕」の共感を誘うわけだけれど、彼/彼女は決して店先で咲き誇る「花」とは同次元では語られない。「誰も気づかないような場所で」ひっそりと「咲いてた花のよう」なのである。

 ぼくらはみんな別々の花である。しかし花はなんらかの目的の達成のために選ばれるし、そのために花は存在する。
[PR]
by clocken | 2005-08-08 14:09 | archives
line

思考の空転するままに書くことができたら。


by clocken
line
クリエイティビティを刺激するポータル homepage.excite
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31