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ポッドキャスティング、してみた。iTunesで、してみた。

a0035543_2242543.jpg ああ、なんだか懐かしいこの感じ。
 iTunes 4.9から、ポッドキャスト(Podcasting)の機能が付加された。
 それで早速試してみようと思ったわけだけれど、さて、何を聞けばよいのだろうか。もともとインターネット・ラジオを聞く習慣がないのだから、どこを探せばよいのかすら分からない。

a0035543_2244731.gif とりあえず「iPod情報局」で知った@niftyの「Podcasting Juice」でいくつか適当にiTunesに登録してみる。やり方は簡単で、登録したい番組の紹介コーナーにあるPodcastingのバナーを、iTunesのポッドキャストのウィンドウにドロップするだけだ。勝手にダウンロードしてくれる。再生させるとずるずると麺をすする音が聞こえるがなんだこれ。

 この使うために使う、という感覚。別に面白いわけでもないのに、その機能を使ってみたいがために、自分を騙して面白いと思おうとする心の動き。うーん、懐かしい。

 Mac OS Xを導入したときがそうだった。まだ全然対応ソフトウェアがなくて、標準でついてくるものを使ってみるしかなかった。さすがにエディタに「ふぁjなっじょああkfぽあへあlば’まvばにkぶあbfふじこ」とかばっかり書いている(いや、こんなこと書いてません)と飽きるので、ネットを彷徨って数少ないソフトウェアを漁る。そして「このソフトウェアは面白いんだ。だって、ほらOS Xの上で動くんだもん」と思いながら、ひたすら虚しいクリックを繰り返していた。月の満ち欠けをドックに表示するのとか、3Dのおじさんがうろうろするヤツとかそんなのだったなあ。

 まあそのうち、自分に合うネット・ラジオの番組も見つかるだろう。探す気があればの話だけれど。
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by clocken | 2005-07-11 22:07

あくせくせずに仕事をしてゆくということ

 いつものごとく仕事で帰りが遅くなったので、タクシーに乗ろうと、途中の駅で電車から降りた。
 駅の周辺は酔っぱらいのサラリーマンと、うだうだしている邪魔なガ…大学生で溢れていた。まあ、金曜日だしボーナス出たばかりだし、しかたがないよな。さすがに空車も少ない。

 ようやくタクシーに乗ると、運転手が「今日は飲んでいる人多いね。すごく混んでますよ」と話しかけてきた。ぼくは同意して行き先を告げた。
 運転手はぼくの言ったルートに詳しくないようで、いちいち道を指示しなければならなかった。道の両側にはふらふらしながら楽しそうに歩いてゆく人たちが連なっている。
「お客さんは今まで仕事ですか」と運転手が訊ねたので、ぼくはそうだと答えた。それからお仕事は大変ですねえ、いやいや、このご時世に仕事があるだけでも幸せですよなどという大人の会話をする。
「私は思うんだけど、家族が食っていく分だけのんびりと稼げればいいと思うんですよ」と運転手は言った。「自給自足というかね。金を稼いだってキリがないでしょう? もっと欲しいもっと欲しいって思ってしまうから」
「そうですね」ぼくは言った。「でもね、ちょうどよく稼げる仕事ってなかなかないですよ」
 タクシーの運転手というのは腹を決めてしまえばそれに近いかもしれない、とぼくは思った。自分のペースで仕事をしてゆくことができる。だけれど、運転手は意外なことを言った。「私は運転手をね、いつまで続けようか、もう辞めようかって毎年考えているんです」
「じゃあ、もうちょっとだけ続けてみよう、という感じで続けているんですか?」ぼくは訊ねた。
「タクシーの運転手をやっていかなくてもなんとか生活はできるからね」彼はなんとなく照れくさそうに言った。「最近は頻繁に実家に行ってるんですよ。実家を手伝って、のんびり自給自足で暮らすのもいいかなってね」
 ああ、いいですね、とぼくは頷いた。「ご実家は農業をされてるんですか?」運転手が“自給自足”と言ったから、てっきり農業だと思ったのだ。
「いや、そういうわけではないんですけどね」
「じゃあ、家庭菜園のようなもので、家で食べる分だけ作るとか」
「いやいや、実家がね、土地をたくさん持っているものだから。親戚とかに貸して、地代代わりに収穫の10%だとかもらってるんですよ。だから米なんて食べきれないほどある。(実家は米穀商をやってるんですよ。)それをこっちへ持ってきて、近所や知り合いに分けたりするのが楽しいね」

じきゅうじそく【自給自足】
〔名・ス他〕自分や自国に必要な物資をみずからの生産だけでまかなうこと。ドイツAutarkieの訳語として1930年ごろから広まる。
(『岩波国語辞典第六版』株式会社岩波書店)
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by clocken | 2005-07-09 18:19

“法廷侮辱罪"というのがなんなのか気になった

 最初に新聞記事を読んだときには、見出しを読んでさらっと流し読みしただけだったので、さほどの関心を持たなかった。“法廷侮辱罪”という言葉だけがちょっと気になったので、頭の片隅にメモしていた。しかし今日ポータルにしているExciteでExcite ニュース「米紙記者を4カ月収監 連邦地裁、証言拒否で」を読み、これが大きな事件であることを知って愕然とした。

 ことの顛末はMSN-Mainichi INTERACTIVE「米情報源秘匿:法廷侮辱罪相次ぐ 報道の自由、多難な局面」やgoo ニュース「記者の情報源秘匿認めず、米メディア『失望』 米最高裁決定(産経新聞)」などに詳しい。記事を元に事件の経緯をひどく簡単に要約する。

 03年7月、一部メディアが、ジョゼフ・ウィルソン元駐ガボン米大使の妻パレリー・プレイムさんを名指しでCIA工作員であると報じた。これはホワイトハウス高官のリーク(ウィルソン氏への報復を目的)ではないかと疑われた。
 米司法省は漏洩が「情報機関関係者の身元開示を禁じる連邦法違反」に該当すると判断し、独立検察官を任命して捜査に当たらせた。
 さて、これを取材した記者2名が連邦大陪審(容疑者を起訴するかどうかを決定する陪審)に召還され、取材過程で接触した政府職員の名を明かすよう求められたが、証言を拒否した。これが法廷侮辱罪に問われ、連邦地裁で有罪判決、高裁でも有罪となった。2名は上告したが、先月27日連邦最高裁は棄却した。

 法廷侮辱罪というのは、判事の訴訟指揮権を強化するための制度である。つまり刑事訴訟手続きにおいて裁判の進行を深刻に妨げることを罪と規定している(民事の場合はまた別のものである。今回は関係がないので割愛)。
 どうも「侮辱罪」というのは日本語の訳語として問題だと思うけれど、まあそれはおいといて、これじゃ事実上気骨あるジャーナリストはみんな投獄されてしまうではないか。そういうわけでアメリカでは26州で「シールド・ロウ(「取材情報源秘匿法」などと訳される)」といわれるジャーナリストの証言拒絶権を保護する法律が存在する。
 ところが話はそう簡単ではない。
 シールド法が存在する州でも、多くのジャーナリストがニュース・ソース秘匿を法廷侮辱罪と判定され、投獄されてきた。なぜなら「通常、記者の〈保護〉は、公平な裁判を被告が受ける権利を保障した米国憲法修正第6条の下位にある」からである(H・ユージン・グッドウィン『ジャーナリズムの倫理を求めて』(第2版、1987年)を、『権田萬治ホームページ Mystery&Media』の中の記事、メディア時評(2)「記者の証言拒絶権をめぐって」から孫引き)。また、多くの場合、72年連邦最高裁判決での「大陪審での記者への証言命令は、憲法で保障された報道の自由の制限にあたらない」という決定が根拠になっているようだ。

 アメリカとは恐ろしい国である。

 それでも、
 ニューヨーク・タイムズ紙によると、米主要メディアの記者が取材源を明かさなかったことを理由に収監されるのは、同紙記者が1978年に40日間収監されて以来という。(→NIKKEI NET「取材源秘匿の米紙女性記者収監・米連邦地裁」)

 というから、なにがなんでも監獄へ放り込む恐ろしい判事ばかりというわけではないようではあるけれど。

 しかし、ぼくが今回の一連の記事を読んでもっと恐ろしくなったのは、次のような記述である。
 米中央情報局(CIA)工作員名漏えい疑惑を捜査しているフィッツジェラルド特別検察官は5日、取材源の秘匿を理由に大陪審での証言を拒否しているニューヨーク・タイムズ紙の記者らの身柄について、自宅拘禁ではなく、連邦刑務所に収監すべきだとの書面をワシントンの連邦地裁に提出した。
 地裁は6日、法廷侮辱罪での有罪が確定している同紙のジュディス・ミラー、タイム誌のマシュー・クーパー両記者に対し、収監期間、場所などを言い渡す予定になっており、特別検察官は判決を前に、両記者への「厳罰」を求めた形だ。(→Excite ニュース「連邦刑務所への収監を 特別検察官、厳罰求める」)

 これは、特別検察官による“報復”であり、“見せしめ”である。そしてその結果、
 ミラー記者については「収監によって証言する気になる可能性がある」として収監を命じた。収監期限は、情報漏えい事件を調べている大陪審が終了する十月までとされた。(→東京新聞「取材源秘匿 米記者を収監 連邦地裁」)

 ということになったのである。司法による“脅迫"である。

 再び、アメリカとは恐ろしい国である。

 自社ジャーナリストを全面支持する姿勢を明らかにした『ニューヨーク・タイムズ』誌に較べ、上告棄却を批判しつつも「最高裁の判断に従う」と表明した『タイム』誌の腰砕けぶりも批判したかったけれど、書ききれないのでここでやめておく。

参考にしたサイト(順不同):
・Excite ニュース「米紙記者を4カ月収監 連邦地裁、証言拒否で
・NIKKEI NET「情報源秘匿のNYタイムズ記者を収監
・NIKKEI NET「取材源秘匿の米紙女性記者収監・米連邦地裁
・Excite ニュース「連邦刑務所への収監を 特別検察官、厳罰求める
・MSN-Mainichi INTERACTIVE「米情報源秘匿:法廷侮辱罪相次ぐ 報道の自由、多難な局面
・「メディアが脅かす報道の自由」(記事元: 『melma!blog [新聞批評]』)
・goo ニュース「記者の情報源秘匿認めず、米メディア「失望」 米最高裁決定(産経新聞)
・「メディア時評(2)「記者の証言拒絶権をめぐって」(記事元: 『権田萬治ホームページ Mystery&Media』)
・「陪審復活・なんでも Q & A」(記事元: 『陪審制度を復活する会のホームページ』)
・「裁判員制度と取材・報道の自由に関する意見書」(記事元: 『JCLU/ ホームページ』)※JCLUは社団法人自由人権協会のことだそうです
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by clocken | 2005-07-07 20:20

特許庁にて(4) ほんとうに機能しているのか

 願わくはこれが特許庁に関して書く最後のエントリであって欲しい。
 もうあんな役所とは関わりたくないというのが一つ。電子化電子化と騒ぐ割に、まったくもって仕事が遅く非合理的で、職員は自分の半径25cmを出る業務についてはまったく無知である。
 少しは改善され、もうこんなことを言われないで済むようにして欲しいというのが一つ。ぼくが少ないながらも納めている税金で運用しているわけだから、改善できるところはし、合理化できるところは合理化して、さっさと使える役所になって欲しい。

 ということで思い出した話があるので、上に書いたことのインクも乾かぬうちに、自分の体験談は次のエントリに続いてしまうこととなった。

 つい最近商標無効の審決が話題になった。山梨の印章メーカーが「福沢諭吉」を商標登録していたところ、学校法人慶應義塾が登録無効審判の請求をしたというもの。結局、慶應義塾の主張が認められた形で、登録無効の審決が出たわけなのだが、その根拠というのは「公序良俗違反(商標法 第4条第1項第7号)」だという。(→「どのような商標が登録にならないのか」/特許庁)
 審決は「福沢諭吉は慶応義塾の創設者としてよく知られ、郷土大分県中津市はもとより国民一般に敬愛された人物と認められる」と指摘。
 その上で「遺族らの承諾を得ずに商標登録することは著名な死者の名声に便乗、使用独占をもたらすことになり、故人の名声・名誉を傷つけるだけでなく、公正な取引秩序を乱し、公の秩序を害する恐れがある」と判断した。
Yahoo!ニュース - 共同通信 - 「福沢諭吉」の商標無効 特許庁「名声に便乗」

 印章メーカーは「登録を認めておきながら取り消されるのは納得できない面がある」と言っているらしいが、それはそうだ。公序良俗違反だというのなら、登録審査の時点で判断できるはずで、なぜ今さらそれを審決理由にする? わけが分からない。

 しかも、広島の酒造メーカーも酒類について「福沢諭吉」の商標を登録している。これも公序良俗違反で無効ということになるではないか。
 ちなみに、商標法では、現存者の氏名はその承諾がない限り登録できないと定めている。これは死者については適用されない。今回のようなケースは珍しいということである。

 このほかにも、角川ホールディングスの商標「NPO」「ボランティア」でもこれを登録取消とする決定があった(→「特許庁、角川の「NPO」「ボランティア」の商標登録を取消し 2005/05/19(木) 14:54:55」/知財情報局)。
 特許庁は、両用語とも、創作性に欠け、「雑誌、新聞」の自他商品識別標識として認識される程度が低く、また、それぞれの語を含む会報等が多数あり、「独占使用を認めることは公益上、適当とはいえない」として、商標登録を取り消した。(上記リンク先)

 だから、なんで審査の時にそう言わないんだ。

 ほんと、ちゃんと審査しているのか、特許庁? というより、機能しているのか、特許庁は。実際に特許庁で手続をしてみて、こういうことは起こりうると思えるものな。

(本文中でリンクしていない参考サイト:「商標『福沢諭吉』の無効審決について」日本弁理士会)
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by clocken | 2005-07-04 01:13

ゆずこしょうについて

a0035543_1131788.jpg「ゆずこしょう」を買ってみた。
 これは唐辛子と柚子を練り合わせたものなのだけれど、ぼくが買ったのはFIND NEWS CO., LTD.のもので、柚、塩、唐辛子、生姜、青じそ、山椒、陳皮、胡麻、麻の実から作られている。もしかすると柚子胡椒としては邪道かもしれない。
 でも、これが美味い。お勧めだ。

 かなり塩気が強いので、肉よりは魚のほうが合う。鯛茶漬けの薬味にしたらかなり良さそうな雰囲気である、家ではなかなかできないけれど。ちょっと飛ばしたワインで溶くと、洋風のソースにもなる。FIND NEWSのブログ「for Natural Spa Life ハーブスタイル湯布院」の2月のバックナンバーでは「ゆずこしょうを白味噌とよく混ぜてみりんを加え最後に卵黄を入れてまったりとしたソースに」して蒸し豆腐にかける、というのが紹介されていて、これもなかなか良さそうである。料理に使う前に、ほとんど薬味として食べてしまったのが惜しまれる。

 このFIND NEWSのゆずこしょうはなかなか売っていないので、スーパーマーケットで見つけたフンドーキン醤油の「柚子こしょう」を買った。ゆずこしょうよりも味がくっきりしている。特に柚子の皮の風味が鮮烈で、これはこれで悪くない。

 ところで、「柚子こしょう(ゆずこしょう)の柚子太郎」のサイトに、柚子胡椒についての豆知識があったので引用しておく。
○柚子胡椒発祥の地
ゆずこしょう発祥の地は、海抜500mの地にある大分県日田郡天瀬町馬原村。
きれいな空気と緑豊かな自然の中で生まれ育った柚子の皮と唐辛子を使用したゆずごしょうです。
○柚子胡椒という名の由来
柚子こしょう(ゆずこしょう)とは、九州の大分県日田郡天瀬町馬原村を発祥として今や全国に根強い愛好者を増やし続けている柚子の皮と唐辛子に少々の塩を加えた香辛料です。発祥の地大分では「唐辛子」のことを「胡椒(こしょう)」と呼ぶ事から柚子こしょう(ゆずこしょう)と一般的に呼ばれるようになりました。

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by clocken | 2005-07-03 01:14

性犯罪天国

 「教師や警官を信用できない世の中になった」というような書き方をよく見るけれど、ぼく自身は「教師や警官が信用できる世の中」というものを知らないので、結局は個々人の人間性でしかないよなと思うのだ。
 究極の選択として教師と警官のどちらを信用できるかという設問であれば、ぼくは警官を選ぶだろう。なぜなら、教師は単に教員試験に受かって教育委員会に採用されたというだけであるが、警官はふだんから犯罪者(正しくは容疑者と言うべきだろうけれど)と接し、彼らが社会からどう見られ、どう扱われているのかを十分に知っているだろうからである。

 甘い。
 そう、そんな考えは甘かった。

 →さらに警官2人も女性盗撮 神奈川県警、公表せず | Excite エキサイト : ニュース

 また神奈川県警で、また盗撮で、また非公表である。
 ここから想像するに、神奈川県というのは性犯罪天国なのではないか。盗撮くらいなら、交番の警官に「もう二度とするなよ(と言いつつ頭をごしごし撫でる)」と叱られるくらいで済むのだろう。だから警官自身も、それほど悪いことだとは思わずやってしまうのだ。
 お偉方も盗撮には寛容だ。同じエキサイトニュースで6月25日付のこんな記事がある。

 →<警官盗撮>駅で女性のスカートの中を 神奈川・横須賀署 | Excite エキサイト : ニュース
 県警監察官室は「事実関係を認め、証拠隠滅の恐れもなかったので逮捕しなかった」と話している。公表しなかったことについては「停職処分以上を公表するなどの内部基準などを検討した結果」と説明している。(上リンク先より)


「停職処分以上を公表する」と内部基準で定めているから公表しないという論理もものすごく分かりやすくて素晴らしい。

 田代まさし氏や植草一秀氏はどうして社会的に抹殺されてしまったのだろう。犯行現場が神奈川県でなかった(田代氏、植草氏共に東京都内)からか、警官でなかったからだろうな、やっぱり。
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by clocken | 2005-07-01 21:26

また一つお気に入りの店が危機に瀕している、のか

 つい2か月前くらいのこと、仕事で良く行くあたりにこぎれいな定食屋を見つけた。
 味はまあそこそこといった感じだけれど、ご飯がお代わり自由だし、なにより接客が気持ちいい。言葉がはきはきとしていて、動作も速い。
 地元でないので、いつもというわけには行かないが、そこへ行くたびに寄っていたから、今日でもう7〜8回目にはなるだろう。2か月でそれなら結構頻繁だ。
 でも、次はもう行かないかもしれないと思う。

 接客態度は悪くなっていない。ぼくが気に入っていたウェイトレスを最近見かけないのは気になるけれど、たまたまかもしれない。
 少しずつ味が落ちてる。最初に入ったときは、ご飯も見事に炊きあがっていて嬉しかったものだ。前回のご飯は今ひとつだった。今日のご飯はお世辞にも旨いとは言えないものだった。
 鶏の唐揚げを頼んだら、以前に較べて小さくなっている。肉はさらに小さくなっている。肉が小さくなって衣が厚くなっている。

 うーん、嫌だな。
 定食屋がこうなってくると、今までの経験から言ってダメになる。
 どうしよう。店で「味が落ちましたね」なんて真顔で言えるほど舌に自信があるわけではない。意見ができるほど常連の客というわけでもない。
 だいたい、良くないと思ったら黙って行かなくなるのが日本の美しい伝統であり、大人の態度とされているものだ。

 でもなあ、こうやって気に入った店が少しずつ悪くなってゆくのを実感するのは、ひどく悲しいことだ。ぼくの力でどうなるものでもないけれども。
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by clocken | 2005-06-02 22:45

携帯電話は日用品なのだから、もっとシンプルになって欲しい

 ビル・ゲイツ氏の予言は、予言者のそれと同じだ。
 彼は(というと公平を欠くかもしれない。Microsoftは、と言うべきか)、とにかくたくさんの予言をする。とにかく可能性のあるものには何でも手を出す。そして当たったものだけを騒ぎ立て、当たらなかったものにはしらを切る。
ゲイツ氏「コンシューマーは常に予測不可能だ。原則として、できることはただ、市場に製品を投入してみて、失敗から学ぶことだけだ」(ITmediaニュース)

 彼の発言は、それを言い表している。その意味では正直だと言えないこともない。
 先に他人が開拓したところに製品を投入するのでないのなら、ね。
ゲイツ氏「長い目で見ればiPodの成功が持続できるとは思わない。音楽を聴く目的で首位に立つデバイスは携帯電話だ」(ITmediaニュース。要約しました)

a0035543_3523834.jpg iPodだって永遠にトップを走ることはできないだろう。別にビル・ゲイツ氏ほどの予言者でなくてもそのくらいのことは分かる。
 でも、後半については、ぼくはそう思わない。ITmediaニュース「音楽携帯は“iPodキラー”にはならない」で述べられているとおり、携帯電話は音楽を聴くためには不便すぎる。
 でも、不便かどうかなんてどうでもいい。携帯電話のほかにiPodを持ち歩くのだって、不便だといえば不便だ。
 音楽のポータブル・プレイヤーは、携帯電話ほど生活に必要というわけではない。iPodを2機種もっているぼくが言うのは変かもしれないが、別になければなくたって構わないのである。実際、ぼくは普段持ち歩いているものの、ほとんど聴いていない。音楽を聴くのは自宅で、iTunesを使ってである。
 じゃあなんでiPodを持って歩いているのか。馬鹿みたいだけれど、持っていて楽しいからだ。いつでも好きなときに音楽が聴ける、シンプルで美しいデザインのプレイヤーがジャケットの内ポケットにある、ということが嬉しいのだ。ときどき女の子にイアフォンを貸す楽しみというのもあるけれど。

 ゲイツ氏だって、きっとそれは理解しているのだろう。今はどうか知らないが、彼が熱烈なAppleファンであったことは知られている。でも、彼は楽しみを創造することはできないのだ。
 考えようによっては、悲しい話である。

参考:
●『NETAFULL』の「音楽携帯がiPodに勝つのは難しい?
●ITmediaニュース「[WSJ]音楽携帯は“iPodキラー”にはならない
●ITmediaニュース「『iPodの成功は持続不可能』とゲイツ氏
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by clocken | 2005-05-28 04:00

舌足らずなNHK不要論

 自信を持って人に語れる品性などは持ち合わせていないけれども、人は殺さない、物を盗まない、廊下は走らないくらいの常識は持ち合わせているつもりだ。
雅楽多blog』に「受信料不払いと日本人の品性」というエントリがあって、MSN-Mainichi INTERACTIVE カバーストーリーの、次の記事が紹介されていた。
 →「デジタル放送の課題:NHK受信料問題で問われる日本国民の品性

 どうやらぼくも、苦手な品性を問われているらしい。
 この記事(以下「MIC記事」)で書き手が言わんとしていることは、たぶん「NHKを公共放送として維持してゆくために、受信料徴収に罰則を設けなければならないとしたら情けないことだ」ということではないかと思う。この要約が正しいという前提であれば、ぼくはこの意見に50%賛成する。
 なぜ100%賛成ではないかと言えば、ぼくは受信料を払ったことがないからだ。賛成できるわけがない。
 そして、なぜ受信料を払わないかといえば(現在はTVがないからであるが)、公共放送としてのNHKに存在意義を認めていないからである。いやはや。
 公共放送たるNHKが必要なのか、不要なのかといったことは、今さら議論されるべきことではないだろう。ユニバーサルサービスの充実度はもちろんのこと、災害時などにNHKのニュースにチャンネルを合わせる人の数を見れば、いかに信頼された放送を行っているのかは明らかなことだからである。
(MIC記事)

 そもそも受信料徴収を語るには、NHKの“公共性"の是非が問題となるはずではないだろうか。それを「議論されるべきことではないだろう」と最初に当然とされてしまっては、ぼくのようなNHK不要論者には受け入れようがなくなってしまう。ぼくは、受信料不払いは(便乗者もいることは想像できるが)基本的に、NHK要不要論が根本的な問題となっているのだと認識している。
 ユニバーサル・サービスの充実度、災害時のニュースなど、NHKの貢献度は高い、と著者は言う。確かにそれはそうだ。しかし、それは放送局が受信料を取ってやるべきことなのか? 政府がやればいいではないか。
 NHKの収入源を税金にすれば、支払い率の心配は無くなるが、税収によって賄われるようになれば、それは国営放送ということになる。国営放送局を持つ国々が、民主主義社会に多いか、社会主義社会に多いかを考えれば、NHKが公共放送として成り立っていることの意義は明らかであろう。(同)

 ぼくはかねがね、政府(地方公共団体でもいい)が、直接に国民(市民)へ情報提供するための手段がほとんどないことに疑問を感じていた。ぼくらが政府の動向を知るのは、新聞やTVやラジオといった、民間の報道機関を通じてである。「民間ができることは民間に」という考え方は理解できるが、政府はぼくらに知らせるべきことをきちんと自らの責任で提供するべきだ。それは政府の義務であり、他の誰かが代行できるものではない。記者の前でしゃべったからOKというのはおかしい。
 また、この「国営放送局を持つ国々が、…社会主義社会に多い」云々が、国営放送では真実の(正直な)情報は望めないという意味であるのなら、むしろその方が民主主義国家として問題ではないのか。

 政府がやるとすれば、その財源は税金ということになる。
 ぼくらは政府にひどく不信感をもっているし、放送機関などを作らせたらろくなことにならないんじゃないかと危惧する。でも、NHKはどうなんだ? OKだったのか?

 さて、話をNHK不要論に戻す。
 ぼくがNHKを不要だと考える理由を大まかに箇条書きにする。

●スポーツ放映・ニュース、ドラマ、ヴァラエティ、グルメ番組などは放映する必要はない
●囲碁、将棋、語学、音楽、能・狂言・歌舞伎など、趣味の領域の番組が多すぎる
●組織として独立していない。たとえば、2000年のNHK番組を国会議員が「事前に検閲し」、「圧力をかけ」、「番組内容を改変させた」と「言われて」いる。番組改変への圧力があったかなかったはともかく、国会議員に放映前の番組を見せること自体が問題だ。
●放映済みの番組を国民が利用する設備がない。国民の受信料で成立しているなら、番組は国民の共有財産ではないのか。正当な利用料を支払えば、簡便に自由に閲覧、複写が可能でなければおかしい。

 別にTVでスポーツ番組やドラマを放映するな、と言っているわけではない。なぜ一部の人しか見ないものを、しかも生活に必要なものでもないものを、金を払って受信させていただかないといけないのか、ということだ。そんなものこそ民間でやるなり、希望者のみが見られるようにするなりすればいいではないか。
 NHKが提供する番組のクオリティーについて、国民がどのように認識しているかが重要になる。良質な作品を提供している限り、今の受信料制度を維持していくことは可能なはずである。(同)

 とにかく維持したいらしいのである。
 クオリティについて問われるとは思わなかったが、問われたのであれば考えよう。
 ぼくは番組を見ていないので、番組そのもののクオリティについては語れない。しかし上に書いたように、まず“何を放送するのか"という点において、問題が多すぎる。これを書きながら番組表を一週間分眺めてみたが、ぼくの観点から言えば少なくとも半分近くは“公共放送"としては不要な番組である。残りの半分はすばらしい番組だと仮定しても、半数が不良品である商品のクオリティを高いというわけにはいかない。
 まずい喩えかもしれないけれど、契約したプロバイダが「通信速度がものすごく速くてセキュリティも高いけれど、一日の半分は繋がらない」というようなものだったら、どうでしょう?
 NHK受信料不払い者数の拡大が沈静化しなければ、公共放送として、高視聴率の期待しにくい番組や身体機能に不自由を抱える人向けのサービスを展開することが難しくなってくる。(同)

 NHKのこういう面については否定しない。しかし、繰り返し言うが、それなら国営放送でやればいいではないか。「公共放送」の意義を十分に議論せずに、受信料を払うの払わないのという議論をすることが不毛なのだ。たとえば国営放送では「高視聴率の期待しにくい番組や身体機能に不自由を抱える人向けのサービス」ができないのであれば、それがなぜなのか、どうしてできないのか、それを説明できるのだろうか。政府機関がこれ以上膨張するのが好ましくないというなら、それはそれで構わない。そのうえで、公共放送はどうしても必要だと議論を展開し、公共放送がどうあるべきだという結論を出せばいいではないか。

 世界に類をみない制度であるから保持すべきだとか、罰則がないのに払ってきたのはモラルが高いからだというのは、なんとも間の抜けた意見にしか思えない。
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by clocken | 2005-05-28 00:48

無限階段を作る

 naru8090さんの「Mrtn Directory」で知ったサイト、「Sugihara's Home Page」の中の立体だまし絵のコーナー「趣味のだまし絵立体 ─ 錯視図形を立体で作ることができます」が面白かった。

a0035543_22135428.jpg エッシャーの絵などで有名な錯視図形を立体で作ってみる、というものだけれど、展開図を付けてくれているので、自分で作ってみることができる。とりあえず「エッシャーの無限階段」をプリントして作ってみたが、結構難しい。のりしろが付いていないので、まずはセロハン・テープで仮止めしながら。

 うん? ここがこうなって、ああ、そこは折り線ではなくて切り目を入れるのか、あ、曲げるのが逆だ、ちと小さくて面倒だな、というような感じで紙をわしゃわしゃやっていると、なんだかひどく貧相で粗雑な仕上がりではあるけれど、無限階段ができた。すごいぞ。

 これをまた拡げて組み直してもいいけれど、できあがりが今ひとつ小さい。せっかくだから元のA4ではなくA3にプリントして作ってみたほうが楽しそうだ。

 というわけでA3の紙にプリントして再挑戦である。この粗雑な仮組みを展開して、細心な注意と綿密な手順設計のもとにのりしろを付けるのだ。完璧な計画である。
 公開する勇気が湧いてくるようなものができたら、写真を載せます(上の写真はサイトに掲載されていたものですよ)。たぶんうやむやになるだろうけれど。
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by clocken | 2005-05-25 22:21
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思考の空転するままに書くことができたら。


by clocken
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