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携帯電話は日用品なのだから、もっとシンプルになって欲しい

 ビル・ゲイツ氏の予言は、予言者のそれと同じだ。
 彼は(というと公平を欠くかもしれない。Microsoftは、と言うべきか)、とにかくたくさんの予言をする。とにかく可能性のあるものには何でも手を出す。そして当たったものだけを騒ぎ立て、当たらなかったものにはしらを切る。
ゲイツ氏「コンシューマーは常に予測不可能だ。原則として、できることはただ、市場に製品を投入してみて、失敗から学ぶことだけだ」(ITmediaニュース)

 彼の発言は、それを言い表している。その意味では正直だと言えないこともない。
 先に他人が開拓したところに製品を投入するのでないのなら、ね。
ゲイツ氏「長い目で見ればiPodの成功が持続できるとは思わない。音楽を聴く目的で首位に立つデバイスは携帯電話だ」(ITmediaニュース。要約しました)

a0035543_3523834.jpg iPodだって永遠にトップを走ることはできないだろう。別にビル・ゲイツ氏ほどの予言者でなくてもそのくらいのことは分かる。
 でも、後半については、ぼくはそう思わない。ITmediaニュース「音楽携帯は“iPodキラー”にはならない」で述べられているとおり、携帯電話は音楽を聴くためには不便すぎる。
 でも、不便かどうかなんてどうでもいい。携帯電話のほかにiPodを持ち歩くのだって、不便だといえば不便だ。
 音楽のポータブル・プレイヤーは、携帯電話ほど生活に必要というわけではない。iPodを2機種もっているぼくが言うのは変かもしれないが、別になければなくたって構わないのである。実際、ぼくは普段持ち歩いているものの、ほとんど聴いていない。音楽を聴くのは自宅で、iTunesを使ってである。
 じゃあなんでiPodを持って歩いているのか。馬鹿みたいだけれど、持っていて楽しいからだ。いつでも好きなときに音楽が聴ける、シンプルで美しいデザインのプレイヤーがジャケットの内ポケットにある、ということが嬉しいのだ。ときどき女の子にイアフォンを貸す楽しみというのもあるけれど。

 ゲイツ氏だって、きっとそれは理解しているのだろう。今はどうか知らないが、彼が熱烈なAppleファンであったことは知られている。でも、彼は楽しみを創造することはできないのだ。
 考えようによっては、悲しい話である。

参考:
●『NETAFULL』の「音楽携帯がiPodに勝つのは難しい?
●ITmediaニュース「[WSJ]音楽携帯は“iPodキラー”にはならない
●ITmediaニュース「『iPodの成功は持続不可能』とゲイツ氏
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by clocken | 2005-05-28 04:00

舌足らずなNHK不要論

 自信を持って人に語れる品性などは持ち合わせていないけれども、人は殺さない、物を盗まない、廊下は走らないくらいの常識は持ち合わせているつもりだ。
雅楽多blog』に「受信料不払いと日本人の品性」というエントリがあって、MSN-Mainichi INTERACTIVE カバーストーリーの、次の記事が紹介されていた。
 →「デジタル放送の課題:NHK受信料問題で問われる日本国民の品性

 どうやらぼくも、苦手な品性を問われているらしい。
 この記事(以下「MIC記事」)で書き手が言わんとしていることは、たぶん「NHKを公共放送として維持してゆくために、受信料徴収に罰則を設けなければならないとしたら情けないことだ」ということではないかと思う。この要約が正しいという前提であれば、ぼくはこの意見に50%賛成する。
 なぜ100%賛成ではないかと言えば、ぼくは受信料を払ったことがないからだ。賛成できるわけがない。
 そして、なぜ受信料を払わないかといえば(現在はTVがないからであるが)、公共放送としてのNHKに存在意義を認めていないからである。いやはや。
 公共放送たるNHKが必要なのか、不要なのかといったことは、今さら議論されるべきことではないだろう。ユニバーサルサービスの充実度はもちろんのこと、災害時などにNHKのニュースにチャンネルを合わせる人の数を見れば、いかに信頼された放送を行っているのかは明らかなことだからである。
(MIC記事)

 そもそも受信料徴収を語るには、NHKの“公共性"の是非が問題となるはずではないだろうか。それを「議論されるべきことではないだろう」と最初に当然とされてしまっては、ぼくのようなNHK不要論者には受け入れようがなくなってしまう。ぼくは、受信料不払いは(便乗者もいることは想像できるが)基本的に、NHK要不要論が根本的な問題となっているのだと認識している。
 ユニバーサル・サービスの充実度、災害時のニュースなど、NHKの貢献度は高い、と著者は言う。確かにそれはそうだ。しかし、それは放送局が受信料を取ってやるべきことなのか? 政府がやればいいではないか。
 NHKの収入源を税金にすれば、支払い率の心配は無くなるが、税収によって賄われるようになれば、それは国営放送ということになる。国営放送局を持つ国々が、民主主義社会に多いか、社会主義社会に多いかを考えれば、NHKが公共放送として成り立っていることの意義は明らかであろう。(同)

 ぼくはかねがね、政府(地方公共団体でもいい)が、直接に国民(市民)へ情報提供するための手段がほとんどないことに疑問を感じていた。ぼくらが政府の動向を知るのは、新聞やTVやラジオといった、民間の報道機関を通じてである。「民間ができることは民間に」という考え方は理解できるが、政府はぼくらに知らせるべきことをきちんと自らの責任で提供するべきだ。それは政府の義務であり、他の誰かが代行できるものではない。記者の前でしゃべったからOKというのはおかしい。
 また、この「国営放送局を持つ国々が、…社会主義社会に多い」云々が、国営放送では真実の(正直な)情報は望めないという意味であるのなら、むしろその方が民主主義国家として問題ではないのか。

 政府がやるとすれば、その財源は税金ということになる。
 ぼくらは政府にひどく不信感をもっているし、放送機関などを作らせたらろくなことにならないんじゃないかと危惧する。でも、NHKはどうなんだ? OKだったのか?

 さて、話をNHK不要論に戻す。
 ぼくがNHKを不要だと考える理由を大まかに箇条書きにする。

●スポーツ放映・ニュース、ドラマ、ヴァラエティ、グルメ番組などは放映する必要はない
●囲碁、将棋、語学、音楽、能・狂言・歌舞伎など、趣味の領域の番組が多すぎる
●組織として独立していない。たとえば、2000年のNHK番組を国会議員が「事前に検閲し」、「圧力をかけ」、「番組内容を改変させた」と「言われて」いる。番組改変への圧力があったかなかったはともかく、国会議員に放映前の番組を見せること自体が問題だ。
●放映済みの番組を国民が利用する設備がない。国民の受信料で成立しているなら、番組は国民の共有財産ではないのか。正当な利用料を支払えば、簡便に自由に閲覧、複写が可能でなければおかしい。

 別にTVでスポーツ番組やドラマを放映するな、と言っているわけではない。なぜ一部の人しか見ないものを、しかも生活に必要なものでもないものを、金を払って受信させていただかないといけないのか、ということだ。そんなものこそ民間でやるなり、希望者のみが見られるようにするなりすればいいではないか。
 NHKが提供する番組のクオリティーについて、国民がどのように認識しているかが重要になる。良質な作品を提供している限り、今の受信料制度を維持していくことは可能なはずである。(同)

 とにかく維持したいらしいのである。
 クオリティについて問われるとは思わなかったが、問われたのであれば考えよう。
 ぼくは番組を見ていないので、番組そのもののクオリティについては語れない。しかし上に書いたように、まず“何を放送するのか"という点において、問題が多すぎる。これを書きながら番組表を一週間分眺めてみたが、ぼくの観点から言えば少なくとも半分近くは“公共放送"としては不要な番組である。残りの半分はすばらしい番組だと仮定しても、半数が不良品である商品のクオリティを高いというわけにはいかない。
 まずい喩えかもしれないけれど、契約したプロバイダが「通信速度がものすごく速くてセキュリティも高いけれど、一日の半分は繋がらない」というようなものだったら、どうでしょう?
 NHK受信料不払い者数の拡大が沈静化しなければ、公共放送として、高視聴率の期待しにくい番組や身体機能に不自由を抱える人向けのサービスを展開することが難しくなってくる。(同)

 NHKのこういう面については否定しない。しかし、繰り返し言うが、それなら国営放送でやればいいではないか。「公共放送」の意義を十分に議論せずに、受信料を払うの払わないのという議論をすることが不毛なのだ。たとえば国営放送では「高視聴率の期待しにくい番組や身体機能に不自由を抱える人向けのサービス」ができないのであれば、それがなぜなのか、どうしてできないのか、それを説明できるのだろうか。政府機関がこれ以上膨張するのが好ましくないというなら、それはそれで構わない。そのうえで、公共放送はどうしても必要だと議論を展開し、公共放送がどうあるべきだという結論を出せばいいではないか。

 世界に類をみない制度であるから保持すべきだとか、罰則がないのに払ってきたのはモラルが高いからだというのは、なんとも間の抜けた意見にしか思えない。
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by clocken | 2005-05-28 00:48

無限階段を作る

 naru8090さんの「Mrtn Directory」で知ったサイト、「Sugihara's Home Page」の中の立体だまし絵のコーナー「趣味のだまし絵立体 ─ 錯視図形を立体で作ることができます」が面白かった。

a0035543_22135428.jpg エッシャーの絵などで有名な錯視図形を立体で作ってみる、というものだけれど、展開図を付けてくれているので、自分で作ってみることができる。とりあえず「エッシャーの無限階段」をプリントして作ってみたが、結構難しい。のりしろが付いていないので、まずはセロハン・テープで仮止めしながら。

 うん? ここがこうなって、ああ、そこは折り線ではなくて切り目を入れるのか、あ、曲げるのが逆だ、ちと小さくて面倒だな、というような感じで紙をわしゃわしゃやっていると、なんだかひどく貧相で粗雑な仕上がりではあるけれど、無限階段ができた。すごいぞ。

 これをまた拡げて組み直してもいいけれど、できあがりが今ひとつ小さい。せっかくだから元のA4ではなくA3にプリントして作ってみたほうが楽しそうだ。

 というわけでA3の紙にプリントして再挑戦である。この粗雑な仮組みを展開して、細心な注意と綿密な手順設計のもとにのりしろを付けるのだ。完璧な計画である。
 公開する勇気が湧いてくるようなものができたら、写真を載せます(上の写真はサイトに掲載されていたものですよ)。たぶんうやむやになるだろうけれど。
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by clocken | 2005-05-25 22:21

キッコーマン菌

 企業と言えば不祥事。事件といえば企業あり。
 ろくでもない企業を挙げればきりがない。
 思いつくまま挙げても、雪印乳業(現・日本ミルクコミュニティ株式会社。メグミルクですね)。「牛乳が好きな人の」と言われても、その牛乳への信頼を失わせたのは誰なのかと言いたくなる。三菱自動車。2005年3月期の純損失が4,747億円と過去最悪だったそうであるが、このニュースを見ても「それでも三菱自動車の車を買う人間がいるんだ…」という感想しか浮かばない。
 JR西日本。ここについてはもういまさら言うこともない。他にもBSEにからむ牛肉偽装事件だの最近の橋梁建設工事をめぐる談合事件だのと、挙げるのもうんざりだ。

 なんで今さら分かりきったことを書いているかと言うと、夕刊になにげなく載っていたキッコーマンしょうゆの広告に、ふと胸を打たれたからだ。
(前略)
半谷 そう、時代を超えて受け継がれてきたおいしさの
   秘密があるんですよ。キッコーマンには
松岡 なんですか、その秘密って?
半谷「キッコーマン菌」という麹菌なんですよ。
松岡「キッコーマン菌?」
半谷 キッコーマンが長年にわたって大切に受け継いで
   育ててきた宝物です。(後略)
(註)半谷…半谷吉識氏。キッコーマン株式会社研究本部 第一研究部主幹
   松岡…松岡修造氏。11代目くいしん坊。

 そうだよな。きちんと(たぶん)商品を作っている会社はたくさん(たぶん)ある。キッコーマンがほんとうにそうなのか知るすべはないけれど、この無邪気なまでの広告で訴えたかったのは、きっと商品への自信なのだろう。そうでなかったら勝つためにはなんでもする松岡氏を広告に起用したりしない(冗談)。

〈豆知識〉キッコーマンのサイトによれば、しょうゆの出現は室町時代中期ごろだそうだ。文献に初めて醤油の字が現れたのが1597年刊行の『易林本 節用集』(簡便な国語辞典のようなものらしい)だという。このころには庶民的な調味料になっていたことが伺える。〈/豆知識〉

a0035543_22124975.jpg 問題のキッコーマン菌の写真もあった。左図がそうである。

 最近は買ったり買わなかったりしているけれど、キッコーマンの「丸大豆しょうゆ」は好きです。
 これからも美味しい醤油を作って下さい。
  →キッコーマン しょうゆ博物館【しょうゆのつくり方】
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by clocken | 2005-05-24 22:16

手紙の書き方に人生が現れる

 なぜか職場に『そのまま使える 手紙・はがきの書き方実例百科』(日本文芸社編)という本があった。参考までに読んでみると、なかなか面白いことが書いてある。
 毛筆のときは、慶事では濃い墨で、弔事は薄い墨というのが、昔からの習わしになっています。なぜ弔事で薄墨を使うかというと、硯に涙が落ちて墨が薄くなるからだそうです。

 なるほど。一応メモ。

 手紙やはがきの書き方を教えてくれる本というのを使ったことはないのだけれど、こうやって読んでみると、意外に役に立つような気がしてきた。書き方、と言ってもWordの「挨拶文ウィザード」のように文例だけを挙げているわけではないのだね。ある意味、人生相談というか、指南書のようなものでもある。

 たとえば、忠告の手紙。最初には「相手の内面にふれることですので、必ず封書で出すようにします」という実務的なアドヴァイスも書かれている。でも、その後は次のように続くのだ。
 問題解決には時間を要することもあります。手紙以外にも、直接会うなど形を変えた方法を考えましょう。どちらにしても急がずに、じっくり取り組みたいものです。忠告を受けて頭ではわかっていても、なかなか実行には移せないものです。

 含蓄のある言葉だ。相手だってあなたの気持ちはきっと分かってくれる。焦らずに、相手が実行してくれるのをゆっくりと待つんだよ、と著者は言ってくれている。

 友人へ貴金属の購入を断る、などというのも確かに役に立ちそうだ。ぼくのような貧乏人に頼んでくる人はいないと思うけれど、万が一そんなことになって手紙で断るとしたら、どう書いていいか困るよなあ、きっと。
 連帯保証人を断るのと同様に、…断る理由は、経済面をあげるのが一般的です。

 なるほど。一般的に断っていいんですね。メモしておこう。

 恋愛がらみの手紙の例は、やはりいろいろと参考になる。
男性から女性へ別れを告げる
 智恵子と過ごした最初の二年間はほんとうに楽しい日々だった。でも、この半年間は、お互いを傷つけてばかりで、僕もなんとかしようと努力はしたが、やはりこのへんが限界だと思う。このままの状態をダラダラと続けていても、お互いが苦しむだけだ。もうすべては終わったんだよ。
 別れよう。もう一度、お互いに新しい道を歩き始めよう。
 いろいろと迷惑をかけてすまなかった。   さようなら
 19××・6                    正一

 ああ、正一君、君はなんて詩人なんだ。こういう手紙をもらったら、いくら未練があっても別れるしかない。二年半の付き合いか。飽きただけの言い訳でしょ、なんて思ってはいけない。
 うーん、面白いな、この本。
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by clocken | 2005-05-20 23:02

特許庁にて(3) 3時間待つ覚悟はありますか

 特許庁に文句ばかりつけているぼくだが、何度行っても頭に来るのだからしかたがない。
 さて、商標権存続期間更新登録の手続はなんとか無事に進んでいるようだったので、先日「登録事項記載書類」というのを取りに行った。これは平たく言えば商標登録原簿の謄本である。窓口で聞いたら交付請求書に記入して提出すればいいという。係官に「裁判かなにかで使うんですか?」と聞かれたので、単に更新登録が済んでいるかの確認のためだと答えると、請求書を渡してくれた。

 記入して窓口に提出する。10分弱くらい待っていると、係員が登録事項記載書類をくれる。ふむふむと書類を見ると、認証がされていない。認証というのは「これはなんとかに記載されている事項と相違ないことを認証する」とかご立派なことと共に役所の長の職名と名前が書かれていて、横に公印が捺されているもののことだ。

「認証がないんですが」
 とぼくが言うと、係官は、それは認証がないのだ、と言う。認証が付いたものは別の請求書で請求しなくてはいけないのだと。「だから、最初に裁判に使うのかって聞いたでしょ」
 ぼくはその一言にカチンときた。
「だったら、認証が必要かどうかと聞けばいいじゃないですか。認証が付いているのが普通だと、誰だって思いますよ」
 係官は平然と言った。「ここでは、みなさん認証は付けないんです」
「ここでは、っていうのは特許庁の中の話じゃないですか。役所の交付する書面には認証が付いているというのは、社会常識でしょう?」
 などなど。

 面倒な客だと思われたのか、気の毒に思ってくれたのかは分からないが、係官は「それなら、その書類を認証付きのものにしましょう」と言ってくれた。
「ただ、ちょっと時間がかかります。作っておきますから、4時になったら来てください」
 時計は午後1時を20分ほど回ったばかりである。認証するのに3時間?と喉まで出かかったが、前回と前々回の経験から、特許庁に何を言っても徒労であると分かっていたので、時間を念押ししていったん特許庁を出ることにした。

 あとで聞くと、特許庁での書類認証は、1日1回、午後4時にまとめて決済するらしいのである。別に係官が意地悪をしているわけではなかったのだ。
 別の係官は言っていた。「午前中に請求された分は午前中に出すようにしよう、という動きはあるのですが…。今のところは…。」
 「…」で濁された語尾に、風通しの悪い組織に属する悲哀がにじむ。

 もしあなたが登録事項記載書類を取りたかったら、朝一番で行ったりしてはいけない。午後3時くらいに当日交付分を締め切るらしいので、午後3時に提出すれば、たった1時間待つだけで済む。
 あ、それから認証が必要な場合は「認証付」と書かれた交付請求書に記入することを忘れずに。役に立つブログですね。

関連記事
特許庁にて(1) 専門化の賜物というべきか
特許庁にて(2) 負担の公平性
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by clocken | 2005-05-20 21:12

ぼくだっていろいろ不満はあるけれど

 内部関係者によって引き起こされたサイバー攻撃の実態をまとめた報告書「Insider Threat Study: Computer System Sabotage in Critical Infrastructure Sectors」が発表されたそうである。
 →MYCOM PC WEB 「不満をこぼす社員には要注意!? 怒りに駆られサイバー攻撃を仕掛けた実態調査

 調査を行ったのは米財務省シークレットサービスのNTAC(National Threat Assessment Center)と、米カーネギーメロン大学ソフトウェア工学研究所のCERT。
 調査結果によれば、重要インフラを危険にさらすサイバー攻撃を仕掛けた内部関係者のうち、職場の人事や人間関係への不満が引き金となった人が全体の約9割を占めており、84%のケースにおいて、犯人は何らかの復讐心からサイバー攻撃という行動に及んだことを認めているという。

 サイバー攻撃というと、世界のどこかにいる天才ハッカー(もしくは、馬鹿なクラッカー)がやっている、映画の中の話のような気がしてしまう。でも考えてみると、そんなに遠いところで起こっていることでもないかもしれない。ある会社が小さかったころ、社内のコンピュータを全部管理していたM氏は、社長に首を切られたときに、いくつかの重要なExcelのテンプレートを全部廃棄するという気の毒になるくらいセコい報復をしていた。これもサイバー攻撃の一種だと考えることができる、のかな。

 記事でも「技術的に複雑な手法でサイバー攻撃が仕掛けられているケースは少ない」と述べられているし、「実際の会話やEメールで周囲に不満を漏らしつつ、復讐心からサイバー攻撃に及ぶことを示唆していたケースも少なくなかった」とされていて、M氏の例に当てはまるような気がする。彼も「このままじゃ気がおさまらない」というような物騒なことを周囲に漏らしていたらしいからね。

 結果からみれば、当時その会社は自社サーバも持っていなかったし、社内LANでファイルを共有していた程度だったからExcelのテンプレートを失うくらいで済んだ。実際には使用中のファイルがあったから、それをコピーして復旧できたし。もちろん、M氏もそれを知っていたからやったんだろうけれど。

 セキュアなシステムだとかファイア・ウォールだとか言っても、社内からの攻撃を防ぐのは難しいだろうと思う。コンピュータの安全性はやはり人間関係が鍵を握っているらしい。
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by clocken | 2005-05-19 02:32 | computer

Firefoxを標準ブラウザにしていないわけ

a0035543_21541239.jpg コンピュータの標準ウェブブラウザは、自宅のiMacでも職場のiBookでもSafariにしている(職場のWindowsノートはFirefoxである。もちろん)。
 Firefoxはとても使いやすいブラウザではあるのだけれど、Mac OS Xとの操作の親和性という意味では、いまひとつの部分がある。
 たとえば、Macには「サービス」という漠然とした名称の機能がある。やれることは幅広いので簡単な例で言うと、ブラウザで表示したテキストの一部を選択して「サービス」を適用すると、選択したテキストを付箋メモ(スティッキーズ)に書き込んだり、エディタ(テキストエディット)に書き込んだりできるというものだ。ブログのネタを書き込むときなどは重宝する。しかしFirefoxはこれに対応していないらしく、使うことができない。どこかで拡張機能として配布している可能性はあるけれど、探す手間をかけるほど欲しいというわけではないから探していない。

 CNET Japanを眺めていたら、「Firefox市場シェア、続伸するも成長率は鈍化─セキュリティ問題が影響か」という記事があった。最近まで月1%の勢いでシェアを伸ばしていたのが、現在は0.3%をわずかに上回る程度となっているという。
また、Firefoxで発見されたセキュリティ上の脆弱性が大々的に報道されたことで、IEからより安全なブラウザへ乗り換えるべきだというMozillaの主張は、信憑性が損なわれてしまったのかもしれない。

 これは実際深刻であった。職場のWindowsノートでもFirefoxを使い始め、全員にこれを使わせようと思っていた矢先のことだったからだ。Internet Explorerが嫌いだからという真意を隠してFirefoxに切り替えさせるためには、Firefoxは安全である、という神話がぜひ必要だった。個人的にはMozillaがすぐに対応してくれるだろうことは信頼していたが、他人に勧めるとなれば、やはり「ぼくが信頼しているから」というだけの理由では難しい。

 同じく、CNET Japanでの今日の記事で、「IE 7はやはりタブブラウザに─Firefox陣営からさっそく牽制も」というものがあった。
「なかには、われわれがなぜがもっと早くIEにタブブラウザ機能をつけなかったのかと尋ねる人々もいる。その理由としてはまず、複雑さと統一性に関して、この機能がユーザーにとってメリットよりも混乱の種になるのではないかという懸念を、われわれが抱いていたということがある。IEにタブがあるのに、他のWindows体験の中心的部分となるWindows Media Playerやシェルなどにタブがなかったら、人々は混乱するのではないかと考えたのだ」(Hachamovitch)
 Hachamovitchは、Microsoftがタブに関して誤った判断を下したと考えており、この判断を覆すのを喜んでいると認めた。

(いつもながらMicrosoft社のコメントには「統一性」「ユーザーが混乱」という言葉が
多いが、ほんとうにそう考えているなら、なんでMS Officeはヴァージョンごとに操作が違うんだ。脱線)

a0035543_21552390.jpg おそらくそうなるだろうとは思っていたが、IEもタブブラウザになる。今さらという感じはひどくするが、Windowsユーザーの大半はIEしか知らないわけで、当然タブブラウザの存在も知らないわけだ。とても先進的で便利な機能が付いた、すごいぞMicrosoft!というわけである。
 しかし、そうは言うものの、タブは便利だよとFirefoxの有効性を人に説くのも難しくなったのは事実だ。

 WindowsとIEは密接な関連があるらしいから、組み合わせて使うことで、ぼくのようなでたらめなユーザーには分からないような便利さがあるかもしれない。Mac OS Xの「サービス」のように、である。コンピュータが身近なものになればなるほど、そういった細かい操作性への配慮が、快適さを約束することになる。
 そうだとすれば、あまりコンピュータの機能を覚えることに熱心でないユーザーにとって、Firefox(ほかのブラウザでも)に切り替えるメリットなど感じられないだろう。
 
 でも、結局のところ、ぼく自身がFirefoxを使うメリットをそれほど感じていないのが問題なんだろうね。なんとかIEのシェアを減らしたいという下心だけでは、うまくいくわけがない。
 そもそも自分が標準ブラウザにしていないものを、他人に勧めるのは良くないよな。うーん。
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by clocken | 2005-05-18 22:00 | computer

人により程度は異なりますが、デザインにより喫煙への忌避が生じるかもしれません。

 今日煙草を買ってみると、箱のデザインが変更されていた。
 箱の下1/3ほどに、でかでかと文字が印刷されている。
オモテ
喫煙は、あなたにとって脳卒中の危険性を高めます。
疫学的な推計によると、喫煙者は脳卒中により死亡する危険性が非喫煙者に比べて約1.7倍高くなります。
(詳細については、厚生労働省のホーム・ページwww.mhlw.go.jp/topics/tobacco/main.htmlをご参照ください。)

ウラ
人により程度は異なりますが、
ニコチンにより喫煙への依存
が生じます。


ヨコ
本パッケージに記載されている製品名の「lights」の表現は、本製品の健康に及ぼす悪影響が他製品と比べて小さいことを意味するものではありません。

 吸い終わったばかりの箱に書いてあるのは「あなたの健康を損なうおそれがありますので吸いすぎに注意しましょう 喫煙マナーをまもりましょう」という従来どおりのものだ。今まさにぼくは煙草のパッケージが変わる歴史的瞬間に立ち会っているのだ。ばばーん。

 「健康を損なうおそれがあ」るというのは漠然とした表現であまり怖さを感じないけれど、「脳卒中の危険性」と書かれるとなかなか不愉快である。

 しばらくはそれなりに効果がありそうな気がするが、少し経てばたぶん誰も気にしなくなるだろう。そうなると箱の半分ほどを使って「喫煙は緩慢な自殺にほかなりません」「ニコチンによる喫煙への依存は程度の差はあれ必ず生じます」「『lights』の表現は、有害な添加物を多く含んでいることを意味しています」などと書かれるようになるかもしれない。それにも慣れてしまったら…。
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by clocken | 2005-05-16 19:29

雨宿りして虹を待つ

a0035543_22215433.jpg

 デジタル・カメラを持って出かけたら、夕方ちょっと雨に降られてしまった。
 雨宿りしていると、背後のほうは雲が晴れて太陽が照りつけてきた。でも目の前の空はまだ暗く雨雲がもくもくしている。
 少し待っていたら虹がかかった。
 低く鮮やかな虹と、その上にぼんやりとした虹。よく見てみると、低い虹の内側にはもう一重かかっている。
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by clocken | 2005-05-15 22:22
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思考の空転するままに書くことができたら。


by clocken
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